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柚子の闘病日記・no64


7月24日金曜日
 greに、柚子の闘病日記は書き上げて、更新しなさい。そう言われていた。
誰が見てくれる…。
自己の満足。柚子への供養。それだけかもしれない。
けれど、そうすることで、癒されるような気もした。

水曜日、その闘病日記と向き合っている時に電話が入った。
親しくしていただいている方からだった。
陶芸を習っていた先生の娘さん。
その方のお母様、先生の奥様が亡くなったとの知らせのお電話だった。

長く臥せていらした。
柚子が病気になる前、去年の暮れ、先生のところにお邪魔して、奥様にもお会いしていた。
ひ孫さんを同じお部屋で預かっていることもあって、様子が気になるらしく、以前より具合が良さそうだった。
新しい命は、家族を元気にさせる力があるらしい…。

ご無沙汰を詫び、柚子のことを告白して泣いてしまった。
お悔やみを言うのは、私なのに…。

今週末、お通夜と告別式を行なうという。
今週末は、骨壷に収めなかった柚子の灰を、柚子の容態を気遣って行けなかった田舎に撒きに行くつもりでいた。
けれど、式に出席したかった。
仕事の調整をしてくれているであろうgreに連絡をし、この予定をのばしてもらうことにした。

頼まれて、かかわりのある方たちに連絡した。
「どうしてたの」そういわれて、また柚子のことを言って、言葉に詰まりながら泣いてしまった。

どうして今…。
それは、なかば引きこもりで柚子を看ていた私が、皆さんとの接触をする時を与えてくれたような気がしてしまった。

こういう時のなぐさめは、心に温かい。

昨日は、できなかった用事を済ませて一日を過ごし、気分を紛らわした。
今週一週間は、逝ってしまった柚子の喪失感を、ウチのかぼす甘夏が感じておかしくなってしまうのでは…。と、思って家で様子をみようと考えていた。
甚兵衛が亡くなった時、同じ年に迎えた柚子と産まれた時にはそばにいて、年中いちゃいちゃしていたかぼすは、食欲を無くし、元気がなくなってしまった。

でも、今回は違っていた。
柚子の臥せっていた様子と発する病魔を察知していたのか、亡くなった時、かぼすは冷静にその様子を眺めていたし、何の変化も感じさせない甘夏は天性のお気楽ものか、自分の成長時に、同じ歩調で歩いていなかった柚子の存在がなくなったことへの変化はなかった。

この心配がなかったことは、寂しくのあるが、救いだったかもしれない。
食欲もあるし、普段どおりに生活しているように思う。

少し時間があった。
なんだか、犬の映像が観たかった。
以前録画していた、映画「私と犬の10の約束」を観た。

柚子がいた頃は、辛くなって、観られない…。そう感じて避けていた。

10の約束

1、私の話を我慢強く聞いてください

2、私を信じて。私はいつでも貴方の見方です

3、私とたくさん遊んで

4、私にも心があること、忘れないで

5、ケンカはやめようね

6、言うことをきかない時は、理由があります

7、貴方には学校もあるし、友達もいるよね。でも、私には貴方しかいません

8、私が年をとっても仲良くしてね

9、私は10年くらいしか生きられません。だから一緒にいる時間を大切にしようね

10、あなたと過ごした時間を忘れられません。だから死ぬ時、そばにいてね

ねぇ、柚子。
私は、柚子の話を聞いていたよね。
心があることもわかっていたよね。
一緒にいる時間も大切にしていたつもり…。

一緒に過ごした時間、本当に忘れられないし、
柚子には、私が死ぬまで生きていて欲しかったよ。


  

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