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柚子の闘病日記・no58


7月15日水曜日
 ベッドの上で柚子を見る。
生きていた。息をしていた。
夜中、発作もなかった。

散歩に一緒に行くのを「どうする?」greに聞いた。
「連れて行く」と云った。
greも、みんなと一緒の時間、少しくらい無理をさせても…。
その一瞬が大事…。そう思ってくれている…。そう感じた。

すぐにオシッコはしてくれなかった。
足元の柔らかい、足のふんばりのきく、芝生のある公園まで行った。
バギーから下ろした。

歩こうとしなかった。
後ろ足を持って、前足を前後に動かすようにして歩かせてみた。
何度かした。
オシッコした。

14歳と9ヶ月で逝ってしまったアフガンハウンドのチャイカは、最後、こんな風だった。
老衰だった。
2年近く、寝たきりだった。
後ろ足に力が入らず、外に連れて出る時は、介助用の持ち手を腰に巻いて、バッグのように持って歩かせた。

だんだんに、色々な変化があった。
階段が上がれなくなった。
寝返りができなくなった。
粗相がひどくなり、仕方なくオシメをした。

ここ最近の柚子の様子、病気だと感じるのは、口中から出ている出血と鼻から絶えず出る粘液だけかもしれない。
視力を失う。
眼球にクレーターが出来る。
鼻粘液が出る。
これは、すべて老衰によるものであるもの。そう思えば自然なことなのかもしれない。

いや違う。きっと、言葉と言う方法で訴えられないけれど、癌疼痛が確実にあるはずだもの。
抗がん剤を投与しているわけじゃない。
放射線治療をしているわけじゃあない。

今の足取りは、老衰と感じるようであるけれど、徘徊の様子や、膨らんだ頬、飛び出した眼球、自壊する軟口蓋。原因不明の鼻粘液。
やっぱり、辛い、痛い、癌なのだ。

落ち着いていた。
朝食、ミキサーにかけたドッグフードも飲み込んだ。
水もボウルから自分で飲んだ。

復活した。そう思った。

午前中、安定剤が不要かなと思うほど落ち着いていた。
鼻粘液を取っていたときに起こしてしまって、目が覚めた様子だったので、エンシュアと一緒に飲ませた。

11時、かぼす、甘夏の散歩から戻り、バルコニーで、用を足さないかと、朝と同じように歩かせてみた。
安定剤が効いているのか、だめだった。足がふらついていた。
水で口中をゆすぎ、エンシュアを飲ませた。

1時、自分から起きてきた。
外に連れ出した。良く歩いた。
ぐるぐると同じ場所、ぶつかっては私に方向転換させられながら…。
オシッコした。
それからも20分近く、そこをぐるぐる。
足取りは、弱弱しかった。前足がまっすぐ出ていなかった。
終わりがなさそうなので、抱いて戻った。

近くのコンビニで働く顔見知りから声をかけられた。
最近の柚子の様子を、遠くからみていて、何かあるのだと思っていたのだと思う。
こういう時、気の毒だからと、なるべく接触しないようにと思う人が多い中、わざわざそばに来て、「こんにちは」そういって話かけてきてくれた。
普段から軽い会話をするけれど、礼儀正しく人当たりのとてもいい人だ。

「病気で目が見えなくなって、ここのところあまり良くないんです」そう私が言うと、
「さわってもいいですか?」と、へん顔になった柚子を撫でてくれようとした。
「始終出ている鼻粘液が、ついて汚しちゃうといけないから」そう言うと、
「大丈夫ですよ」と、おもいっきりにこやかに言って撫でてくれた。
そして、
「私の友達の飼ってるミニチュアダックスは20歳なんですよ。大丈夫、長生きしますよ」
そんな励ましを云ってくれた。

興奮状態なのか?
家に戻って、お水、ポカリスェットを飲ませた後、うろうろしていた。
切ない気持ちで、「そろそろネンネしなさい」そう言って、ベッドに入れてやると、まもなく大きな寝息を立て眠った。

危なげな様子はなかった。
日中も大きな寝息を立てて寝ていた。

気温が下がらなかったので、夕方、5時にごはんの用意をし、かぼす、甘夏に食べさせ、散歩に行った。
久しぶりにサリーちゃんのママたちに会った。
柚子がいないことに、最初は、聞いてはいけないという皆さんの視線を感じた。
癌であることを知っているのだから、当然だ。
けれどサリーちゃんのママは、違っていた。
「お家で待ってるのね~」そう云ってくれた。
私は、「この暑さではいよいよ可哀想だと思って」と返したが、聞いてはいけない状況かもしれないと言う時にこういう優しい言葉を選べる本当にいい方だと感じた。

戻ると、柚子は寝ていた。
起きたらごはんをあげようと思った。
オシッコも無理にさせることはないと思った。
かぼす、甘夏と遊んでいる時も、眠っていた。深かった。

日も暮れそうなので、外に柚子を連れて行った。
よれよれとしていたが、オシッコしてくれた。
戻って、食事。
その途中、義母から、携帯に電話があった。
一度目は柚子にごはんをあげている最中だったので、出なかった。
すぐに2度目がかかってきた。
「今じゃあなきゃだめ?」それは、大した用事ではなかった。
今の私には、柚子の食事の方が大事だった。

タイミングを逸すると嫌気が差し、食事を拒否するので途中で中断したくなかった。
予想したとおり、電話に出て話している間に、イヤがった。
半分も食べていなかった。
落胆。
朝はあんなにしっかり食べたのに…。
義母をうらんだ。

その後、問題なく、とてもよく眠っていた。

夜10時、寝不足気味で今日こそは早く寝ようと思い、オシッコに…。
何度か後ろ足を持ち、前足で歩かせると、自分から歩き出し、用を済ませてくれた。
こんなに弱っているのに、本当に柚子はえらい。
粗相もせず、外で用を足している。

戻って、うがいをさせ、エンシュアと安定剤を飲ませた。

自分の大切なそばにいる人や動物、少しでも長生きして欲しいと思うこの気持ち。
誰にでもあるよね。
きっと、それは理屈ではないのです。

柚子の場合、余命2ヶ月といわれて今5ヶ月。本当に頑張っています。
その短い時間を大切に、柚子にとっていい時間と思えるように過ごしてきました。
途中ではやめられない。
そして、柚子は、こんなに頑張っています。
それは、柚子が生きたい、そう願っているからだと思っています…。

人間だったら、自分の意思で決められることも、病気になったら、その対応は飼い主が決めていかなければなりません。
一度、家族として迎えたコの犬生は、命を任せられたと同じ…。

自分に置き換えてみるならば、医療が進歩したこの世の中、死については、ラインを引かなければ、本当に医療を必要としている人が受けれないという事態もあります。
脳死の問題、臓器移植の問題で、お互いの家族側の思う気持ち。
どちらも正論だと思います。
存在そのものとぬくもりは、家族にとってはそれが、大切な命なのですよね。
脳死といわれても、逝かせてしまうこと、私にはできそうにありません。
逆側の、臓器を移植すれば生という可能性を生み、辛いその状態から抜け出すことができることに思いを託す気持ちもわかります。
死に対しては、誰が決断を下すのかということではなく、どう受け入れるかも重要で、むずかしい問題であると思います。

その場に立って、思えば、もっともつらいのは、誰か…。
そういうことを考える、そんな時間を、柚子は、与えてくれています。


  

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