◆お稽古のお菓子◆

2009年1月14日


菊家”花びら餅” 中田屋”金つば 諸江屋”福徳菓子””十二ヶ月””辻占・福寿草”

2009.1.14 東京・青山 菊家 ”花びら餅”

花びら餅は、丸い餅(または求肥)に紅の菱餅をのせ、
味噌餡と甘煮した牛蒡を置き、半円形に折り畳んだもので、『葩餅』とも書き、
形は、皇室の正月行事におせち料理やお供え、配り物として使われる
菱葩に由来しているということです。

江戸時代までは、宮中内でのものだった由緒あるこのお菓子は、
明治時代、裏千家11世玄々斎が、宮中より許されたことで、
初釜の菓子として使われるようになったそうです。

梅や桜の花びらに見立て、丸と菱の合体から、子孫繁栄や太平の願いも表しているそうです。

牛蒡は、宮中のお
歯固(はかた)めの儀式(長命の願い)に用いられた、
鏡餅にのっていた
押年鮎(おしあゆ)にみたてているということです。

裏千家では
独楽(こま)盆にのせて初釜に毎年使われているそうです。

菊家さんの「花びら餅」は、見慣れた半月型の意匠のものではなく、
佇まいは、着物の色重ねのようでした。
袖口や裾から、ひっそり覗く八掛、そんなイメージを持ちました。
微妙に重ねられた白とピンクが見え隠れした風情は、梅や桜の花びらのようでもあり、
日本らしい表現のようにも感じました。

甘煮した牛蒡は、味も姿も繊細で、味噌餡の黄色がアクセントにもなっていて、
その姿が、雅な想いを誘いました。

いただいて、尚、姿形だけでない巧みなお仕事に、うっとりし、
初釜のお茶がいっそう豊かな味となり、寿ぎの優雅な時間と、感じさせてくれました。



菊家さんのその他のお菓子、雛祭りセット利休饅頭
水無月瑞雲(きみしぐれ)青梅
福は内(お福)福は内(枡)利休饅頭


2009.1.14 金沢 中田屋 ”金つば

 

加賀百万石とうたわれる、城下町金沢。
五代藩主綱紀の時代、徳川幕府との軋轢を避けるためにも様々な文化政策を奨励し、
この頃、『加賀友禅』、『金箔』、『九谷焼』、『漆器』などの工芸が、
著しく発展し、幕府に忠義をつくしたといいます。

利家の代から、茶の湯をこよなく愛した前田家。
綱紀の時代には、武家茶道が流行し、お茶菓子としての和菓子も発展したそうです。

「きんつば」が出現したのもこのころだということです。
小豆餡を、うるち米の粉で包んで焼いた焼餅が、庶民の食べ物として、京都に生まれたものが、
刀の鍔(つば)の様な形から、「ぎんつば」と呼ばれていました。

亨保(1726年頃)のころ江戸に渡り、江戸風の工夫を凝らして、
銀よりも金が上というので「きんつば」になったと言われています。

もともと、庶民的な菓子として親しまれてきた「きんつば」
中田屋さんでは、皮が軟らかい北海道の極上大納言小豆大粒の粒をつぶさないよう、
ていねいに煮あげ、砂糖と寒天を加え、小豆の風味を引き出した餡を舟に流して、
四角く切り分け、一つひとつ、薄い衣を刷毛で塗りながら焼いた、
お店を代表する和菓子だそうです。

きんつばといえば、この白い薄衣ですが、
美しく仕上げるのは、その日の気温や湿度で微妙に変わり、熟練の技が、必要だそうです。

今回、この「きんつば」は銀座三越の地下一階にある“菓游庵”で買い求めました。
加賀金沢で「きんつば」といったら中田屋さんという噂を聞いていましたので、
丁度、入荷日の月曜日に立ち寄れたことは、嬉しい出会いでした。

5個入りで819円(税込)でした。
脱酸素剤入りの密封したお菓子ですが、添加物の明記はありません。

出来立てが一番と思いがちですが、こちらの「きんつば」は、それも計算の上のようです。
そうすることによって、素材や味の落ち着きが出る、そういった効果です。

口の中で、程よいつやつやと粒の整った小豆の食感が広がります。
また、小豆本来の甘さも感じます。

当日買ったものは、小豆が口の中でボソっと弾力なく崩れたりするそうです。
作りたての美味しさを保つエージレスパック、毛嫌いすることは、なさそうです。

和泉庄の金つば
一元屋のきんつば

中田屋のきんつばは、8月15日まで楽天で扱っています。




2009.1.14 金沢 落雁・諸江屋 ”福徳菓子””十二ヶ月””辻占・福寿草”
 
  

落雁で有名な諸江屋さんは、創業は、江戸時代末期の嘉永二年(1849年)。
160年の老舗です。
歴史的な由緒を有する加賀名菓の伝統を、今に伝え、昔ながらの製法作り続けていらっしゃいますが、
今回、正月用の縁起菓子の三種をいただきました。
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写真、左奥の俵型と打ち出の小槌型の
“福徳せんべい”
右奥、風車のような形の
“辻占福寿草”手前、“十二ヶ月”です。
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“福徳せんべい”
は、十二代加賀藩主前田斉広(なりなが)公の文化六年(1809)、
金沢城二の丸御殿が新造された折、その祝賀用に創案された菓子だそうですが、
文政六年(1823)の竹沢御殿落成時にも、用いられた記録が残っているそうです。

おめでたい福俵、打出の小槌、砂金袋をかたどった餅種を焼き、
金を表す黄と、銀を表す白に仕上げてあり、米煎餅の皮を割ると、
中に金沢の婚礼調度に用いられる土人形のミニチュアと、
小型の金花糖が、現れます。

「金花糖」とは、氷砂糖を煮詰め、精緻な木型で固めたものを着色した、
金沢の伝統的なお菓子だそうですが、
江戸時代に加賀藩では、家臣が当主に、金花糖で作った菓子を献上する風習があったといいます。

この日は、砂糖菓子の恵比寿様、土人形の福助?が現れましたが、
他に鯛、鏡、富士山、大黒天などがあるようです。
その昔、加賀藩ではお正月にはこの一年、福と徳に恵まれるよう、
正月用玩具または菓子、料理等に縁起をかつぐものが多く使われていたそうです。

明治以降、正月菓子として金沢のお菓子屋がこぞって売り出したそうですが、
現在もこの“福徳せんべい” を今も扱っているのは、諸江屋さんだけだそうです。

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“辻占福寿草” こちらも 古くより、金沢に伝わる、お正月用の縁起を喜ぶ玩菓だそうです。
福徳せんべい同様、薄い煎餅種を福寿草の花形に造り上げて、中に札が仕込まれています。

フォーチュンクッキーかと思いましたが、札には、意味不明の文章。
どうやら、首を傾げたり、笑いを誘うという狙いの、
明治時代に書かれた「なぞかけ本」の文章を、用いているようです。

中には艶っぽいものもあるので、深く考えない方が良さそうです。

「辻占」(つじうら)とは、日本で行われた占いの一種で、
元々の辻占は、夕方に辻(交叉点)に立って、
通りすがりの人々が話す言葉の内容を元に占うものであったそうです。
大阪の神社で今も行われる辻占は、通りすがりの人の言葉ではなく、
その人の性別・服装・持物、同行の人の有無、
その人が向かった方角などから吉凶を判断するそうです。

諸江屋さんのお菓子のしおりによりますと、
江戸時代、吉凶を占う札のみを売り歩く「辻占売り」が、
次第にそれを煎餅やかりんとうに貼りつけて売るようになったのが始まり。
当時は年の暮れにお菓子屋が常連客に福を呼ぶ縁起物として配ったりしたものだそうです。

「辻占福寿草」紙札の解釈

・よくよくきめた
 蒸籠を作っているのでしょうか?しっかりはまっている様子です。
・ろんにかち
 討論に勝って商品にお酒を貰って・・・と解釈しています。
など

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“十二ヶ月”は、加賀麩焼煎餅に、国染めに因む、
春は春、秋は秋の風情をにあしらった図柄が描かれています。

和三盆のほのかな甘さと、口どけのよい麩焼煎餅はお干菓子らしいお品です。

「お国染」とは、加賀地方に昔から伝わる独自の染め技法で、
梅染、黒梅染、加賀憲法染、加賀紋のそれぞれ、もしくは
文献によってはそれら全体を指す加賀独自の染物のことです。

加賀藩時代は「紺屋(こうや)」と呼ばれる染屋が、藍染めだけでなく染物全般を受け持っており、
お国染もその染物の中のひとつだったそうです。
藩政時代の上層階級の人々は京都の呉服やなどから衣類を求めたために、
お国染はおもに武士や町人の生活の中で使用された日常着や夜着、のれんなどの
染織品に見ることができるということです。


諸江屋さんの落雁”わび/タンス”

金沢 落雁・諸江屋 の落雁は、楽天で購入できます。



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